TIDE POOL 葉山の公式ブログ

2017.06.21 UP
【若き万博先生の悩み】
うまなび、
梅雨の中ころ晴れ間の射す日、
馬方の先生「いち」はカッコいい仕事で、イギリスへ、
人方の先生「よし」は生死をさまよう体験をしに、集中治療室へ、、

日々、
一瞬一瞬の積み重ねの日々、をみんな生きとります。

「生きている日々が生きている意味だ。
    生きている意味は生きている日々だ。」

という僕の敬愛するboss the mc の歌の一節を大切な言葉として胸に抱えて生きてきましたが、
今回のいのちの体験を通し、本来手に取れない幻である言葉が、
体感になるということを体験しました。

すごい体験です。

生死をさまようそこには、
やはり恐怖がありました。

家族と離れる恐怖、

医者の落ち着きながら叫ぶような切迫した、
「家族の同意書は待ってられません。
今すぐに手術です。」

あ、この手術を失敗したら家族にもう会えない、

あ、愛する人に会えんかも、キスできんかも、、

怖い!、、

と同時にもういいやぁ、
という気持ちよさが、
脳内の伝達物質みたいなものが走ったのが、
痛みの中、朦朧とする意識の中、体験として残っています。

ふぅ、
んで、
何が素敵でなにがいいなぁ、というのは、
うまなびに「恐れ・恐怖」がよりそっているから、だと想います。

おそれがあり、
畏怖があり、
そこに勇気をもって繋がっていく。
一歩をふみこんでいく。

その中で、
じぶんの可能性を感じ、
じぶんを信じる勇気をもって、

果ては、
それが、

じぶんを超えたいのちを信じる勇気につながる。

そういうことがしたい。

生死をさまようなかなか無い体験をしたもんでつたえたい。

己のいのちの価値を問い質し、
生きる力を育もうや。

そう、

いち先生の代わりの万博先生の話がしたかった。

今日ははじめからみんなだらりとしとった。

へんな慣れもありゃ、
だるさもあるだらぁけど、
女の子たちはしゃきしゃきとボロ取りもしたし、
曳き馬も率先して楽しんだ。
役割分担をしようと男の子たちに、
「こっちのボロ運んで〜」
とか、
「ムクチはこうやってつけてみよう」
とか機会を任せられようが、
男の子たちがしょうもなかった。
ひどかった。

【コントロールせん、信じて待つ。】

が性分のこちとらにしても、そちとらひとがったさ。

「なにをしとるだ、手伝えよ!」

って何人かに言ったもん。

そんで、
空気わるいなぁ、なんか起こらんけりゃいいなぁ、
という全体の空気の中の町中の曳き馬散歩。

ドキッとすることが起きる。

仔馬といえど走り出したら、ひっぱられる。
やばい、とみんな感じる。

なにもなくことは終わったけど、
直樹さんはすかさず、
「これ、最後、みんなでふりかえろう。」
と。
さすが。

いい機会ですよね。

最後にみんなで話し合う。
万博先生にも気持ちを伝えてもらう。
みんなの感じたことを感じてもらう時間をとる。

答えは無くともその感じた中に、じぶんの答えがある。

いのちと触れ合うことの畏怖、
人間関係もそう。
光があれば闇もある。

クラスが終わり、
みんなの乗るバンを手を振り見送り、
おつかれさまと声をかけ合い振り返りをする。

万博先生は、悩みに悩んで、
「いやぁ、わからんすねぇ。怒っていいんですか?」
と問いた。

もちろん、あんな今日みたいなのは、
怒ってなにやっとるだ、言うていいですよ。

そのまんまで、
子どもとかじゃなく、一個人と向き合ってそのまんま、
あかんもんはあかん、
感動するもんは、素直に感動する。
いつもの通りで、いいんす。
特に今日の男衆は、しょうもない。

万博先生は感じて、
子どもたちに伝えよう、どうしたら感じてくれるか?
をやってくれてます。

まぁ、僕らも感じて悩んで、
できんことが見つかって、
子どもたちみんなのおかげて、発見することがたくさんあって、

そうまわっとるんですわ、うまなびは。

ふぅ、想いはつづったよ。

腹が痛い。

今日も元気をもらいました。

みんなありがとう。

もっと、感じよう。

最後に、
俺事で申し訳ないです。

でも、
生きとって良かった。

本当に生きとってよかった。

「ウレシパモシリ」という言葉が好きです。

わたしは大地
わたしは大空
わたしは月
わたしは太陽

わたしは花
わたしは鳥
そして
わたしはあなた

わたしは涙
わたしは笑顔
わたしは孤独
わたしは怒り

わたしは許し
わたしは祈り
そして
わたしはあなた

わたしは試練
わたしは学び
わたしは光
わたしはいのち

わたしは愛
わたしは神

そして

わたしはあなた

〜一部、歌うたいaklraさんの「ウレシパモシリ」という詩より引用〜

佐藤由明
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