TIDE POOL 葉山の公式ブログ

2023.02.14 UP
せかいを体で感じてみよう!⑤オーストリア~ドイツ『シュタイナー学校』

こんにちは(^^)/
毎月第三水曜日の「せかい」クラス講師、はらみづほです。

今日のクラスは、スペシャルゲストが登場!
大きな物体を背負って来てくれたよ~(≧▽≦)

興味しんしんのHちゃんが、「背負ってみたい!」とチャレンジ。
体より大きなコレは、いったい何じゃ?

この物体は楽器のチェロ!ゲストの後ろに見えるのが全体像です。

ふだんこのクラスでは、6大陸60か国を6年間旅した私の体験談をもとに、いろんな世界の暮らしや文化をみんなで見聴きし、感じ、体験していますが、チャンスがあればできるだけ私以外のゲスト講師もお招きし、私とは違った視点の「せかい」に触れる機会も子どもたちに届けたいと思っています。

そんな折、横浜に住む私の友人の息子さんが、とっておきの「せかい」の体験者であることが判明!授業をお願いしたら快く引き受けてくださり、お母様(私の友人)ともども、タイドプールに来てくださいました。

そのゲスト講師のお名前は、田幡庸(よう)くん。お隣は、お母様の美江子さん。

彼が6歳~15歳までの14年間を過ごしたのは、『シュタイナー学校』という世界。その学校を作ったのは、東ヨーロッパ(現在のクロアチア)生まれの、ルドルフ・シュタイナーさん(1861~ 1925年)です。

神秘思想家、哲学者、教育者…と言われるこの人が100年以上前に作った、日本の一般的な学校とはかなり違うしくみの学校は、ヨーロッパから南北アメリカ~オセアニア~アジア地域へと広まっていき、今では世界60数カ国に1000校以上あるとのこと。

「モモ」や「はてしない物語」を書いた作家ミヒャエル・エンデさんや、名車と言われる「ポルシェ911」をデザインしたフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェさん、日本の俳優・斎藤工さんや村上虹郎さんも、シュタイナー教育を受けたのだそうです。

ではまず、シュタイナーさんが生まれた現在のクロアチアと、活躍したオーストリアやドイツの場所がどこにあり、日本からどのくらい離れているのかを確認してみましょう! 
クロアチアも、オーストリアも、ドイツも、先月のテーマだった北欧の下、ヨーロッパ地域にあります。ここから世界中に、そして日本にも伝わってきたんだね。

庸くん、シュタイナーが作ったのはどんな学校で、ふつうの学校とどこがどう違っているの?
庸くん:「まずみんなの学校とのわかりやすい違いは、教科書も、テストも、通知表もないことかな…と思います。みんなの学校には、教科書や通知表があるよね?でもシュタイナー学校には、それらが一切ないんです」

みんな:「???……」
 
Kくん:「ぼくも教科書は持って行かないよー!重いから学校に置いてある!」

庸くん:「いや、持って行かないんじゃなくて、“教科書”というものがもともと一冊もないんだ。だから、先生の話を聴いて理解したことを自分でノートに書き取り、自分の教科書を自分で作るんだよ」

みんな:「……?!」

Nちゃん:「宿題は…?」

庸くん:「うーん…宿題もほとんどなかったかな…」

Jくん:「通知表って何?……」

みづほ:「1学期ごとの最後の日に担任の先生から渡される、成績が書いてある書類のことだよ。国語とか算数とかの教科ごとに、◎とか〇とか△とか、『よくできました』とか『もっとがんばりましょう』とか書いてある紙のこと」

Hちゃん:「それ、ウチの学校もないよ。宿題もない」

みづほ:「おぉ~そうなんだ~!庸くんの学校と似てるね~!他のみんなの学校はどう?」

みんな:「ある…」

みづほ:「庸くんの学校では、学年ごとの修了式に、通知表ではなくてクラスの生徒一人一人に担任の先生から『詩』が贈られるんだって。みんな、詩ってわかる? 今日は庸くんが自分がもらった詩を持ってきてくれたから、どんなものなのか読んでもらおうか。庸くん、まずは一年生の修了式にもらった詩を読んでもらえますか?」

私がそうお願いすると、庸くんは「じゃあ、読みますね」と言って、はっきりした声で、以下の詩をゆっくり読み上げてくれました。


みんな、ハッとしたような、ビックリしたような顏つきで、ひととき、庸くんの声に聴き入っていました。

Kちゃん:「一人一人、違う詩を先生からもらうの?」

庸くん:「うん、そうだよ。ひとクラス生徒が8人とかで、生徒の数はたぶんみんなの学校よりだいぶ少ないけど、先生は一人一人に対して、その子のための詩を書いて贈ってくれるんだ。そして生徒はその日から毎日、一年間、修了式でもらったその詩を覚えて声に出して読み、メッセージを自分の中にしみこませていくんだ」

みんなはちょっとビックリした様子で、庸くんの言葉を受け止めています。
  

「じゃあ、次は、二年生の最後にもらった詩を読んでみようか」

庸くんはそう言って、また、ゆっくり、はっきり、みんなに次の詩を読み聞かせてくれました。

Kちゃん:「えー、いつもクラスのみんなを笑わせてたの?」

庸くん:「うん、まぁそうだね…(笑)人を笑わせるのが好きだったね。この詩をもらって、あらためて、自分は人を笑わせるのが好きなんだなーって氣がついたかな…。3年生になってからはまた毎日一年間、この詩を声に出して読んだんだ」
   
私は事前打ち合わせでもこれらの詩を聞かせてもらっていたのですが、ここであらためて聞かせてもらいながら、「これは、担任の先生がクラスの生徒一人一人に書いた、渾身のラブレターだな…」と思い、胸がいっぱいになりました。

先生が自分を温かいまなざしで見、個性を認めてくれているのがしみじみ伝わってくるこんな詩をもらい、その後一年毎日暗唱した子どもたちは、きっと自己肯定感の根を大地にしっかりと下しながら、詩に込められたエールを胸に、自分の行きたい方向に、枝葉をのびやかに伸ばして行けることでしょう。

子どもたちもそれぞれに、庸くんが読んでくれた詩や庸くんの声や話に強い引力を感じたようで、氣づけばみんな、まるで強力な磁石に吸い寄せられた砂鉄のように、いつしか庸くんの周りにギューッと集まっていました。
  
子ども達からいろんな質問や声が庸くんに投げかけられ、庸くんもそれに自然体で答えます。

やんちゃ坊主も、おしゃまさんも、みんな真剣なまなざしで話に聴き入り、

庸くんが持ってきてくれたシュタイナー学校のアルバムに見入ったり。
 
そうしているうちに残りあと20分!となったので、慌てて最後のプログラムに。
クラスの最初にみんなが目を奪われていた、みんなの背丈よりでっかいチェロを、いよいよケースから取り出して、音を聴かせてもらうことにしました。

みんな、チェロの生演奏は初体験。

庸くんはシュタイナー学校の音楽の授業でチェロと出合い、以来ずっとチェロを習い、弾き続けてきたそう。

シュタイナー学校では、教室内でいつも誰かが音楽を奏でていて、みんなでそこに加わって演奏したり、即興演奏を楽しんだりしていたとのこと。

打ち合わせの時、「学校ではいつも周りに音楽があるのが当たり前だった」と話してくれたことも、とても印象的でした。

教科書がないシュタイナー学校では、音楽の授業で楽譜を学ぶ時、生徒がそれぞれ自分のノートに、先生が奏でる音の絵を描くことから始まったそう。

↓こちらは、「庸くんの音楽ノート、兼、自作の音楽教科書」の表紙。

開くと…当時の小さな庸くんが初めて描いた「楽譜」が。
先生が奏でた音楽は、庸くんにとってこんなイメージだったのですね!

ここからスタートした「楽譜」を学ぶ授業で、このあと先生はいろんな音符をいろんな人に、各小節を家や部屋に見立て、一部屋にどの音符がいくつ入ってどう動くとどんな音楽になるか…というような物語仕立てで、音やリズムを写し取る「楽譜」のせかいを教えてくれたのだそう。

しくみや道理をストーリーにしてイマジネーション豊かに伝え、想像力と創造力を羽ばたかせていくシュタイナー学校の授業の一端に触れ、私はドキドキわくわく。

「与えられたことを覚える」という私がよく知る一般的な授業とはまったく違う自由と創造性を感じ、とても心惹かれました。子ども達にとってもそうだったのではないかな…そうだったらいいな…と思っています。
  
この日、庸くんが最初に弾いてくれたのは、「第九」とか「喜びの歌」という名でおなじみの、ベートーベンの交響曲第九番・歓喜の歌。よく大晦日に演奏される有名な曲です。

その後、「みんなの知ってる曲は?」と尋ねてくれて、「となりのトトロ」や、みんなもどこかで聞いたことのある、いくつかの曲を弾いてくれました。

初めて聴くチェロの音色に、みんな耳も目も心も吸い寄せられている様子。笑
 
最後は庸くんと美恵子さんが持ってきてくれた鳴り物楽器をお借りして、庸くんの演奏に合わせて、みんなで音楽を奏でました。
 
まだまだ聴いていたかったけど、残念ながら終わりの時間に。

いつものように日本式のごあいさつをして…

シュタイナー学校の世界を垣間見る本日のクラスは、幕を閉じました。

最後に、庸くんが私のリクエストに快く応じて送ってくださった、この日の授業の感想文をご紹介しますね。

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<2023年1月18日の「せかい」クラスを終えて> 田幡 庸

私が幼稚園から高校を卒業するまで受けて来たのは、日本ではあまり知られていない、シュタイナー教育と言うオルタナティヴな教育だった。 

シュタイナー学校では、テストも教科書もない。

一学年にひとクラスのメンバーが小学校から中学を卒業するまで、あるいは高校を卒業するまで、担任も高校に入るまでは変わらずに、一緒に苦楽を共にする。

ともすれば閉鎖的な、側(はた)から見れば異様な光景だろう。 しかし、そんな世界で育った私からすればそれがスタンダードで、それが当たり前だった。

母を通して、みづほさんから今回のお話を頂いた時、正直、シュタイナー教育の何をどう語るべきか分からなかった。 

大人にすらどう話して良いのか分からないことを、小学生に…。母校の学童保育を手伝った経験から「子どもたちの有り余るエナジーを持て余すのではないか」…という不安を感じ、私は授業が始まっても、その懸念を拭えずにいた。 

話すことになっていた内容は、私が旅した世界の話、今や各国にあるシュタイナー教育の話と、シュタイナー教育と音楽。

私の心配をよそに授業は始まり、子どもたちのハイエナジーに自分自身の子ども時代を思いつつ、「彼らの興味をどう授業に向けられるだろう…?」と思案した。

しかし途中で、「そこは手慣れたみづほさんのファシリテーションに仕切りを任せよう」と考えを切り替えた。最初、私は大きな勘違いをしていたのだ。私は、“私「対」子どもたち”という構図をイメージしていた。

しかし、そこで私がやるべきだったのは、“私「と」子どもたち”と言う構図。 私はみづほさんに仕切りを任せると、子どもたちの土俵に入り、彼らの話のドライヴの中から本筋に導いていった。

彼らは子どもながら聡明だ。私が彼らの土俵に入った途端、とてもクリティカルな意見や質問を繰り出して来るようになった。

いつしか、あれ程騒いでいた彼らの姿はどこへやら…。静かに聴き、彼らなりに咀嚼し、また質問してくる。

彼らの物怖じのなさ、素直さ、勘の良さは、その後の音楽のセッションにも出ていた。私には、めいめい好きな楽器を私のチェロに合わせて鳴らす彼らの姿は、将来の音楽家にも見えた。

どの国であれ、彼らがこの先創り出す世界が楽しみだ。誠に勝手だが、これから先、日本に彼らのような若者たちがいるなら一安心だ。そして、その世界の末席を汚す光栄を受けられるならば、こんなに嬉しい事はない。

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庸くん、本当にありがとうございました!
また会える日を楽しみにしています!!

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